そんなときだった。以前の私の彼女であり、忠実なアナル奴隷のマサ子と、偶然にも街でばったり出会ってしまったのだった。マサ子との出会いは8年前に遡る-私がまだ自分のことを俺と呼んでいたときの話だ。
俺は大学生であった。かなりの苦学生であり学校の講義には出ず、朝から晩まで働き詰め、そこで得た少ない収入は都会の高い家賃と光熱費、そして学費の貯金に消えた。ご飯はと言えば、コンビニバイトでもらった廃棄弁当や、ミスタードーナツのバイトの廃棄のドーナツだ。いつもポリ袋いっぱいもらって帰り、次の日の朝になるとカチカチになったパサパサんのドーナッツを公園の水で食べたものだった。栄養失調になりかけたときは、知り合いの天丼屋に行き客が残したエビフライの尻尾を食べてカルシウムを摂取し、骨粗しょう症を防いだものだった。そんなある日、マサ子は俺に弁当を作ってきてくれた。マサ子はコンビニの客で近くの某有名女子大学に通うお嬢様だった。マサ子は俺が持っていないものを持っていたし、俺は彼女にないものを持っていた。2人は全く正反対の環境で生きていたが、それが二人を惹きつけ合ったのかもしれない。マサ子は弁当を持ってきてくれた。週に1回だったのが2回、3回と増え、それが日課になっていた。俺が風邪でバイトを休んだ日などは、なぜか俺の家を知っていて弁当を持ってきてくれたものだ。マサ子に「なぜ、俺の家を知っているんだい?」と尋ねると「いつもあなたの後ろにいます」という答えが返ってきたものだった。マサ子はいつもコンビニ弁当を持ってきてくれた、料理をしたことがない彼女は弁当を作ることが出来ないのだ。マサ子はいつの間にか、俺の生活に入ってきた。そして自分のことを彼女だと言い張るようになっていた。そう言い出してから数週間後、マサ子は俺の家に住み着いていた。マサ子は毎朝、コンビニ弁当を普通の弁当箱に詰め替えて俺に持たせてくれた。そして帰ってくるといつも、コンビニ弁当を用意していてくれた。いつしか俺の生活は3食コンビニ弁当になっていた。マサ子は弁当の詰め替え意外は本当に何も出来ないダメな子だった。6畳一間の俺の部屋は、マサ子の私物とごみで汚れていた。しかし俺がマサ子を見捨てなかったのは、食費がかからなかったのと、セックスが出来たからだ。マサ子は変態だった。SMプレイ、というか、御主人様と奴隷という主従関係を勝手に結び、俺のことを御主人様と呼んだ。いつしか俺はその気になっていて、自分のことを私と呼ぶようになっていたのだ。私の部屋は狭い。隣の部屋との壁は土壁でぼろく、穴をポスターで塞いでいるだけのため、会話は丸聞こえであった。そして私には金の玉はあるが金はなかった。そのため二人のセックスは自然と外で行われることとなり、毎日が青姦だった。青姦は最高だった。何と言う開放感か!そしてその開放感のなかにあるスリル。一度やったら止められなくなる、まるで麻薬だ。毎日、毎日セックスをした。私達は学生だったし、将来の夢もあったので子供を作る訳にはいかなかった。そのためコンドームだけは大金を叩いて買っていた。しかし私には金がなかったのだ。コンドームを水で洗い、破れるまで繰り返し使うのが当たり前になっていた。最高で100回繰り返し使ったのは私の誇りである。私はその金さえも使うのがもったいないと思えてきた。ならばどうする??妊娠してしまったら多額の金がかかることになる、オロスとしても数万円だ…、どうする…*その時だった。私の脳裏に一筋の閃光が走った。…ア…ナ…ル…、アナ…ル?、そうだアナルだ!アナルなんだ!何で気付かなかったんだ、アナルだ!アナルなんだ!わっハッハッハッァー!私にとっては革命だった。アナル革命、私はそう呼んでいる。その次の日から、マサ子のアナル調教が始まった。意外にも意外、マサ子のアナルは国宝級に美しかった。まさにアナルの申し子、そういっても過言ではなかった。今考えると、マサ子の括約筋は柔軟性に富んでいた。肛門拡張の知識が全くなかった私はいきなり2本指を挿入したのだが、それをすんなり呑み込んでしまったのを覚えている。指をゆっくり動かしてやると、感じてしまったのかその場で脱糞してしまった。怖くなりその日はアナル調教を中止し、公園の水道で身体を洗い、家に帰ったのだ。
そうだ、思い出した、
マサ子だ、
この38歳の女性の名前も同じマサ子…
嫌な予感は的中した
つづく…
俺は大学生であった。かなりの苦学生であり学校の講義には出ず、朝から晩まで働き詰め、そこで得た少ない収入は都会の高い家賃と光熱費、そして学費の貯金に消えた。ご飯はと言えば、コンビニバイトでもらった廃棄弁当や、ミスタードーナツのバイトの廃棄のドーナツだ。いつもポリ袋いっぱいもらって帰り、次の日の朝になるとカチカチになったパサパサんのドーナッツを公園の水で食べたものだった。栄養失調になりかけたときは、知り合いの天丼屋に行き客が残したエビフライの尻尾を食べてカルシウムを摂取し、骨粗しょう症を防いだものだった。そんなある日、マサ子は俺に弁当を作ってきてくれた。マサ子はコンビニの客で近くの某有名女子大学に通うお嬢様だった。マサ子は俺が持っていないものを持っていたし、俺は彼女にないものを持っていた。2人は全く正反対の環境で生きていたが、それが二人を惹きつけ合ったのかもしれない。マサ子は弁当を持ってきてくれた。週に1回だったのが2回、3回と増え、それが日課になっていた。俺が風邪でバイトを休んだ日などは、なぜか俺の家を知っていて弁当を持ってきてくれたものだ。マサ子に「なぜ、俺の家を知っているんだい?」と尋ねると「いつもあなたの後ろにいます」という答えが返ってきたものだった。マサ子はいつもコンビニ弁当を持ってきてくれた、料理をしたことがない彼女は弁当を作ることが出来ないのだ。マサ子はいつの間にか、俺の生活に入ってきた。そして自分のことを彼女だと言い張るようになっていた。そう言い出してから数週間後、マサ子は俺の家に住み着いていた。マサ子は毎朝、コンビニ弁当を普通の弁当箱に詰め替えて俺に持たせてくれた。そして帰ってくるといつも、コンビニ弁当を用意していてくれた。いつしか俺の生活は3食コンビニ弁当になっていた。マサ子は弁当の詰め替え意外は本当に何も出来ないダメな子だった。6畳一間の俺の部屋は、マサ子の私物とごみで汚れていた。しかし俺がマサ子を見捨てなかったのは、食費がかからなかったのと、セックスが出来たからだ。マサ子は変態だった。SMプレイ、というか、御主人様と奴隷という主従関係を勝手に結び、俺のことを御主人様と呼んだ。いつしか俺はその気になっていて、自分のことを私と呼ぶようになっていたのだ。私の部屋は狭い。隣の部屋との壁は土壁でぼろく、穴をポスターで塞いでいるだけのため、会話は丸聞こえであった。そして私には金の玉はあるが金はなかった。そのため二人のセックスは自然と外で行われることとなり、毎日が青姦だった。青姦は最高だった。何と言う開放感か!そしてその開放感のなかにあるスリル。一度やったら止められなくなる、まるで麻薬だ。毎日、毎日セックスをした。私達は学生だったし、将来の夢もあったので子供を作る訳にはいかなかった。そのためコンドームだけは大金を叩いて買っていた。しかし私には金がなかったのだ。コンドームを水で洗い、破れるまで繰り返し使うのが当たり前になっていた。最高で100回繰り返し使ったのは私の誇りである。私はその金さえも使うのがもったいないと思えてきた。ならばどうする??妊娠してしまったら多額の金がかかることになる、オロスとしても数万円だ…、どうする…*その時だった。私の脳裏に一筋の閃光が走った。…ア…ナ…ル…、アナ…ル?、そうだアナルだ!アナルなんだ!何で気付かなかったんだ、アナルだ!アナルなんだ!わっハッハッハッァー!私にとっては革命だった。アナル革命、私はそう呼んでいる。その次の日から、マサ子のアナル調教が始まった。意外にも意外、マサ子のアナルは国宝級に美しかった。まさにアナルの申し子、そういっても過言ではなかった。今考えると、マサ子の括約筋は柔軟性に富んでいた。肛門拡張の知識が全くなかった私はいきなり2本指を挿入したのだが、それをすんなり呑み込んでしまったのを覚えている。指をゆっくり動かしてやると、感じてしまったのかその場で脱糞してしまった。怖くなりその日はアナル調教を中止し、公園の水道で身体を洗い、家に帰ったのだ。
そうだ、思い出した、
マサ子だ、
この38歳の女性の名前も同じマサ子…
嫌な予感は的中した
つづく…


