52倍という計画は、あまりにも長く遠い旅だ。
ときとして横道にそれ、朝咲きの野薔薇を眺めるのもよいだろう。
私のアナルへの思いを聞いて欲しい。
私にはある友人がいる。仮に名前と、斎藤とする。斎藤には子供がいる。もう3歳になる男の子で、斎藤似のいい男の片鱗をすでに持ち始めている。とにかくネギが好きで、ネギをみるとキャッキャッと悦び、ネギを取上げてはわんわん泣く。そんな斎藤の息子を、斎藤は望んで作ったわけではなかった。昔から彼は女性にモテたし、彼女はとっかえひっかえ。切らしたことはないと思う。だが、それほど彼を知らない人ですら、彼の恋人との関係を見ると、愛がないことを察することができた。彼はセックスしか信じられなかった。身体を重ねて溶けている間だけ相手を愛して、離れればすぐに飽きがきた。斎藤の携帯電話のメールBOXを覗けば、”セックスしようよ”など、セックスという単語が入った件名ばかりで、彼がどう人と付き合い、女と接していたのかわかる。彼が21のとき、そんな関係の女性と子供ができた。否、できてしまった。彼は当時フリーターだった。彼は結婚した。”できちゃった結婚”といえば、笑いも起きるだろうし悪い気分にもならない。そのとき、斎藤は俺に言った。「お前が呼んでいた雑誌は、SMだったな。SMはいいな。どれだけ快楽を満たしても、妊娠しないんだろう?教えてくれよ、SMをさ。俺はこの先もこうして生きていくだろうからさ。快楽が必要なんだ。セックスじゃだめなんだ。教えてくれよ、SMを。」私はそのとき28で、話が戻るが、彼とは工場のライン現場で出会った。給料だけが良い仕事場だった。俺は斎藤になにも言わずにBDSMとはなにかを、俺なりに教えた。俺はBDSMをセックスの延長線上だと捉えている。ファンタジーと捉えるような輩もいるし、羞恥と屈辱、そういった高尚な精神世界でSM哲学論をするのが好きなやつもいる。だが、俺がまだ斎藤と同じ年頃に、強姦まがいのセックスをしたり、女に目隠しをさせ、俺以外の男のペニスにフェラチオさせたり、グループセックスをしたり、警官から手錠を盗んで、それで遊んでみたり、外でしてみたり、ガキの目の前でセックスしたりしているうちに、アブノーマルなセックス=BDSMという理解に昇華したまでのことだ。BDSMがなにかは知らないが、男女が裸になって快楽を求めるなら、俺にとってそれはセックスと呼べる。斎藤の話に戻そう。やつはやたらとアナルセックスを知りたがった。アナルセックスの危険性を、特にしつこく聞いた。BDSMとはよほど関係ない医学の本や、人体の仕組み、子宮、直腸、妊娠の仕組みなどを詳しく調べていた。それにまつわるBDSMプレイをよくよく調べていた。俺はやつにBDSMの大雑把なプレイの幅を教えたが、やつはしきりにBDSMにとってのアナルの在りどころを尋ねてきた。だから俺も教えた。「アナルとは人間にとって排泄器官以上のものではない。性器と捉えるような馬鹿がいるが、あれは性器ではない。あくまでアナルとしてプレイすることに意味がある。ここを履き違えるなら、マンコとしていると変わらないぞ。」そういうと斎藤は「ああ、そうだな。」と目を閉じてうなずいた。「アナルセックスを知るなら、スカトロも知る必要があるぞ、わかるだろ。そういう意味で快楽を得るのがアナルセックスだ。……俺はお前がなぜアナルセックスを求めるのか言及しないが、お前の求めているものはわかるつもりだ。」「ありがとう。」俺が彼にアナル開発がすでに成されているメス奴隷とのプレイをさせたのは、そう教え始めて二ヵ月後だった。俺は、その奴隷に斎藤のアナルを舐めることを命じた。斎藤はてっきりアナルに挿入するつもりで来ていた。「俺が舐められるのか?」そう彼はまんぐり返しの状態にされながら問うた。「ああ、そうだ。」メス奴隷は舐め始めて、斎藤はあまりの屈辱に泣いていた。当たり前だ。対面して30分と立ってない女にアナルを見せ、舐められたのだ。ついでに、指もいれられた。残念なことに、そのアナル奴隷は40を超えた熟女というやつで、BDSMというより欲望と快楽にとりつかれただけの、ただのアバズレ。遊女。ニンフォマニアというやつだ。そんな女にアナルを舐められる屈辱を斎藤は存分に味わった。その日は、それだけで終わった。「どうだ、斎藤。アナルセックスがまだしたいか?」斎藤はうつむいたたまま黙っていた。だが、改めてこういった。「俺はSMがしたい。」俺はこの一言が聞きたかった。俺はBDSMをセックスの延長線上でしか捉えていないといった。そうなのだ、延長線上なんだ。斎藤はそれを理解していなかった。フェラチオとクンニのように、並列でしか捉えていない。それでは、斎藤はまた同じ過ちを犯す。俺は斎藤に言った「あの女を奴隷にしろ。あの女を愛さなくて良い。奴隷なんだ。だが、奴隷を所持するということは、責任が伴うぞ。嫁じゃなくていいんだ。お前は誰も愛せない。セックスが気持ちよかっただけなんだろう?ならそれでいいじゃないか。お前はお前なりの愛し方でいいんだ。それならSMにその形がある。それでいい。」斎藤は泣いた。それ以来、斎藤は嫁にアナル調教を施した。それ以来、ただのライン工場の仕事仲間以上の仲間になった。不倫や浮気すら羞恥であると考える、社会不適合な二人は、遊びまわった。特別、俺とやつはアナルが好きだった。それでウマがあった。ここになにが秘められて、よい思い出なのかはわからない。だが、俺達にとっては、アナルセックスをすることがBDSMであり、女が奴隷になることであり、自己防衛でもあったんだ。俺もそういう人間だから。
ときとして横道にそれ、朝咲きの野薔薇を眺めるのもよいだろう。
私のアナルへの思いを聞いて欲しい。
私にはある友人がいる。仮に名前と、斎藤とする。斎藤には子供がいる。もう3歳になる男の子で、斎藤似のいい男の片鱗をすでに持ち始めている。とにかくネギが好きで、ネギをみるとキャッキャッと悦び、ネギを取上げてはわんわん泣く。そんな斎藤の息子を、斎藤は望んで作ったわけではなかった。昔から彼は女性にモテたし、彼女はとっかえひっかえ。切らしたことはないと思う。だが、それほど彼を知らない人ですら、彼の恋人との関係を見ると、愛がないことを察することができた。彼はセックスしか信じられなかった。身体を重ねて溶けている間だけ相手を愛して、離れればすぐに飽きがきた。斎藤の携帯電話のメールBOXを覗けば、”セックスしようよ”など、セックスという単語が入った件名ばかりで、彼がどう人と付き合い、女と接していたのかわかる。彼が21のとき、そんな関係の女性と子供ができた。否、できてしまった。彼は当時フリーターだった。彼は結婚した。”できちゃった結婚”といえば、笑いも起きるだろうし悪い気分にもならない。そのとき、斎藤は俺に言った。「お前が呼んでいた雑誌は、SMだったな。SMはいいな。どれだけ快楽を満たしても、妊娠しないんだろう?教えてくれよ、SMをさ。俺はこの先もこうして生きていくだろうからさ。快楽が必要なんだ。セックスじゃだめなんだ。教えてくれよ、SMを。」私はそのとき28で、話が戻るが、彼とは工場のライン現場で出会った。給料だけが良い仕事場だった。俺は斎藤になにも言わずにBDSMとはなにかを、俺なりに教えた。俺はBDSMをセックスの延長線上だと捉えている。ファンタジーと捉えるような輩もいるし、羞恥と屈辱、そういった高尚な精神世界でSM哲学論をするのが好きなやつもいる。だが、俺がまだ斎藤と同じ年頃に、強姦まがいのセックスをしたり、女に目隠しをさせ、俺以外の男のペニスにフェラチオさせたり、グループセックスをしたり、警官から手錠を盗んで、それで遊んでみたり、外でしてみたり、ガキの目の前でセックスしたりしているうちに、アブノーマルなセックス=BDSMという理解に昇華したまでのことだ。BDSMがなにかは知らないが、男女が裸になって快楽を求めるなら、俺にとってそれはセックスと呼べる。斎藤の話に戻そう。やつはやたらとアナルセックスを知りたがった。アナルセックスの危険性を、特にしつこく聞いた。BDSMとはよほど関係ない医学の本や、人体の仕組み、子宮、直腸、妊娠の仕組みなどを詳しく調べていた。それにまつわるBDSMプレイをよくよく調べていた。俺はやつにBDSMの大雑把なプレイの幅を教えたが、やつはしきりにBDSMにとってのアナルの在りどころを尋ねてきた。だから俺も教えた。「アナルとは人間にとって排泄器官以上のものではない。性器と捉えるような馬鹿がいるが、あれは性器ではない。あくまでアナルとしてプレイすることに意味がある。ここを履き違えるなら、マンコとしていると変わらないぞ。」そういうと斎藤は「ああ、そうだな。」と目を閉じてうなずいた。「アナルセックスを知るなら、スカトロも知る必要があるぞ、わかるだろ。そういう意味で快楽を得るのがアナルセックスだ。……俺はお前がなぜアナルセックスを求めるのか言及しないが、お前の求めているものはわかるつもりだ。」「ありがとう。」俺が彼にアナル開発がすでに成されているメス奴隷とのプレイをさせたのは、そう教え始めて二ヵ月後だった。俺は、その奴隷に斎藤のアナルを舐めることを命じた。斎藤はてっきりアナルに挿入するつもりで来ていた。「俺が舐められるのか?」そう彼はまんぐり返しの状態にされながら問うた。「ああ、そうだ。」メス奴隷は舐め始めて、斎藤はあまりの屈辱に泣いていた。当たり前だ。対面して30分と立ってない女にアナルを見せ、舐められたのだ。ついでに、指もいれられた。残念なことに、そのアナル奴隷は40を超えた熟女というやつで、BDSMというより欲望と快楽にとりつかれただけの、ただのアバズレ。遊女。ニンフォマニアというやつだ。そんな女にアナルを舐められる屈辱を斎藤は存分に味わった。その日は、それだけで終わった。「どうだ、斎藤。アナルセックスがまだしたいか?」斎藤はうつむいたたまま黙っていた。だが、改めてこういった。「俺はSMがしたい。」俺はこの一言が聞きたかった。俺はBDSMをセックスの延長線上でしか捉えていないといった。そうなのだ、延長線上なんだ。斎藤はそれを理解していなかった。フェラチオとクンニのように、並列でしか捉えていない。それでは、斎藤はまた同じ過ちを犯す。俺は斎藤に言った「あの女を奴隷にしろ。あの女を愛さなくて良い。奴隷なんだ。だが、奴隷を所持するということは、責任が伴うぞ。嫁じゃなくていいんだ。お前は誰も愛せない。セックスが気持ちよかっただけなんだろう?ならそれでいいじゃないか。お前はお前なりの愛し方でいいんだ。それならSMにその形がある。それでいい。」斎藤は泣いた。それ以来、斎藤は嫁にアナル調教を施した。それ以来、ただのライン工場の仕事仲間以上の仲間になった。不倫や浮気すら羞恥であると考える、社会不適合な二人は、遊びまわった。特別、俺とやつはアナルが好きだった。それでウマがあった。ここになにが秘められて、よい思い出なのかはわからない。だが、俺達にとっては、アナルセックスをすることがBDSMであり、女が奴隷になることであり、自己防衛でもあったんだ。俺もそういう人間だから。





